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おたんこナースのきーちゃんとその家族の日記です。
免疫力低下
2011年01月27日 (木) | 編集 |
2週間ほど前に1日熱発し、
その後は一週間ほどひどい下痢に悩まされたのですが・・・。
昨日からまた熱が。

火曜日くらいからなんとなく喉がイガイガして、
喉もとから出てるような咳があったんですが
昨日、仕事から帰って夕方になるにつれ咳↑↑
夜には関節が痛くなってきたのでこれはマズイ、と
自分ひとりだけ別の部屋に布団をひいて寝ることに。
案の定、夜中は咳と悪寒、ポッポポッポと暑くなるの繰り返しで・・・。
熱は37度7分程度で鼻水もなかったんですが
念のため、朝一番にインフルエンザの検査もしてきました。
結果、陰性でとりあえずは内服薬をもらって帰宅。
ずっと寝ていたら今度は腰が痛くなってきたので、
ごそごそ起きだしてきた次第です。

今は熱も下がっていて
頭痛や関節痛も落ち着いているんですが
身体が丈夫なのが取り柄の私が一カ月に2回も熱出すなんて・・・。
ちょっとショックです。(ノ_-;)
年齢やらストレスやらで免疫力が低下してるんでしょうかねえ。
自分の体力を過信しすぎてたのかな。
今年こそ運動して体力増進じゃ~。
(といいつつ、何しよう?とりあえず歩く?)
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ホットケーキミックスで
2011年01月24日 (月) | 編集 |
前回の記事では仕事の愚痴言っちゃってすみませんでした。m(__)m
状況はなんら変わりはないのですが、
いつまでも落ち込んでいられるほど
脳の作りが繊細でないため?か
仕事はまあ、淡々と続けています。
職場を変わろうと思えば一歳でも若いうちのほうがいいのでしょうけれど・・・。
今後、姑が体調を崩すこともありうるし、
そうなれば仕事も辞めざるを得なくなるんじゃないかと思えば、
今、あわてて新しい職場を探してもこの先のことはわからないしなあ・・・
とにかく感情的にならないように淡々と、淡々と。


最近、息子のかずぼんが料理に興味を持ちだしまして。
家庭科の教科書を持ち出しては
目玉焼きだの、野菜炒めだのを作ってくれてたんですが・・・。
先日、どこで見たのか知らないけれど
「おかーさん、ホットケーキミックスでおやつ作ろ。
 たこ焼きの機械で焼いて、中にチョコレート入れるんだよ」
などと言ってきました。

ちょいと調べてみたら
中に入れるものは溶けるチーズとか、魚肉ソーセージとか
あんこなんかもいけるらしいんで、
いろいろそろえて焼いてみることに。
生地は少し緩めのほうが扱いやすそうだったんで
普段より牛乳の量を増やし、
甘味としっとり感を補うのにはちみつとサラダ油なんかも入れてみました。

うちのたこ焼き器は一度に24個焼けるんですが
全部に生地を流すと中身を入れないうちに生地が焼けてきちゃうので
電源切ったり入れたりしながら調節。
かずぼんも「おりゃ~」と叫びながらチョコ投入したり、
ひっくり返すのを見よう見まねで手伝ったり、
楽しんでくれた様子。
そのことをどうも支援学級の宿題の日記に書いたらしく、
今度、支援学級の子どもたちの3月の誕生会で「ホットケーキたこ焼き」を
みんなで作ることになったらしい・・・。
それもかずぼんがみんなに教える格好で。


飽きっぽいかずぼんが
はたしてみんなに教えながら料理を最後までやり遂げられるんだろうか・・・。
家でも最後のほうはみんな私がやってたんだけどなあ、ひっくり返すの。
しばらく、休日のおやつは「ホットケーキたこ焼き」だな、こりゃ。
ひたすら練習あるのみ・・・。

ちなみに一番のオススメは魚肉ソーセージ入りです。
ホットドッグみたいでおいしいよ!

ただいま落ち込み中・・・
2011年01月19日 (水) | 編集 |
なんとか風邪からは復活したものの、
職場問題でガックリ落ち込み中・・・。(ノ_-;)

いや、私、
今の医院に勤めてはやン年、
仕事中に感情を爆発させるなんてこと、
ほとんど無かったつもりなんですが・・・。
この間は耐えきれずに職場放棄?しちゃいまして。
10分くらいだけど、更衣室にこもって動かなかったの。

事の起こりは、うーん。
きっかけは新しく入った常勤ナースの指導、というか
一緒に処置当番(いわゆるその日の注射、点滴、処置の実働部隊)
新人さんといっしょに動いていた時のこと。
私は他院への検査予約の電話に対応していて
その間に処置カルテがたまってしまい、
新人さんが四苦八苦しながら対応しようとしてくれていたのですが・・・。
問診から戻ってきたSナースが
「これどういうこと!なんで声かけてくれないんですか!!」
と有無を言わさず怒鳴ってきたんですよね。
んなこといったってこっちだって遊んでるわけじゃないし、
処置が滞ったら問診やめて手伝うのが決まりだろっ!
まず、新人さんの指導を毎日出勤してるわけじゃないパートに任せて、
自分の好きな仕事しかしないアンタは何なのよ、と。
頭で何かがブチって切れた音が聞こえたみたいな・・・。

主にSナースのイジメ、というか態度のきつさに耐えかねて、
この間も新しく入ったパートさん、辞めてったばかりだったもんで
よけいにカチンときちゃったんですよね。
おまけにこのSさん、
自身の体調不良やら家族の病院通院やらで
よく仕事を休んでは
私に勤務時間の変更を依頼してくるんです。
午後勤務のところを変更して午前中に出てくれ、とか。
で、昨年は思ったより出勤時間が多くなり
年収がパートの収入制限超えるかも?ってんで
微々たる冬のボーナスも現物支給。
  (高級肉だったんでまあ、これはこれで・・・でも金額にしたら五分の一くらい)
そのくせ私が仕事中に何か頼むと
「私に何でも仕事を押し付けないでください」とか言ってくる。
そんなだから、私から先に声かけたとしても
「私はこっちのことやってるんでできません」とか返してきたろうに・・・。

溜まってたモヤモヤが一気に爆発。
「私が悪かったんですね、はい、どーもすいませんでしたっ」
言いきって、
更衣室に立てこもり・・・。

大人げなかったけど、
我慢がききませんでした。
新人さん、心配掛けてごめんね。m(__)m


年齢さえあと10歳若ければなあ。(ーー;)
まだ他に働ける場所も探しやすいんだろうけれど。
今の新人さんが職場に定着してくれそうなら
本気で他の職場を探そうかとも思っている今日この頃。
ネットハローワークで見たらどうもうちの医院?
と思われる求人も出てたけど
時給 ~1800円は看板に大偽りありって感じですよ、院長。( ̄‥ ̄)=3


ただいま流行中です
2011年01月14日 (金) | 編集 |
年が明けたらとたんに流行が本格化してきました・・・A型インフルエンザ!
毎日10人以上検査してhit率4,5割といった感じです。
昨年までと違って、
今のところは子どもよりも大人のほうが患者さんが多いです。
みなさん、手洗いうがいを忘れずに。

私も久しぶりに風邪ひいたのか
昨日から熱と頭痛、関節痛に悩まされ
今日も半日、薬のんでひたすら寝ていました・・・。
咳はちょこっと出るけど、喉もあんまり痛くないし鼻水もない。
なんで熱なんか出したんだろ?って思っていたんですが、
どうも下半身の冷えが原因だったのかも。
先日の仕事中に足腰が冷えて冷えて・・・。
忙しかったんでトイレも我慢してたし、もしかして膀胱炎?なんて心配もしてますが
あんまり頻尿とか排尿痛とかは感じないのね。
ただ、下腹部にモヤーッとした感じと
なんだか見た目血尿?っぽい気もして・・・。
明日も朝から仕事なんですが
コッソリ検尿テープで調べてみようかなあ。
土日に悪化したら困るもんね。

明日もたぶん忙しいんだろうなあ・・・(ノ_-;)
仕事始め
2011年01月06日 (木) | 編集 |
私の勤めるK医院も昨日から仕事始めとなりました。

いや~、年末はね、
私、悲惨だったんですよ・・・。(ノ_-;)
胃腸炎で腹痛を強く訴える患者さんの
救急車での病院搬送に付き添ったはいいけど、
いつもは搬送後、救急隊の方が帰るときに救急車に便乗させてもらって
(帰る方向が同じなので)医院まで戻るんですね。
しかし、さすがに年末、救急車も大忙しで
帰り道で別の場所に行くように要請が入ったそうで、
道の途中で放り出され・・・。
上着も小銭もない状態でコンビニまで歩き、
電話を貸していただいて医院のスタッフに迎えに来てもらいました。
(もちろん仕事の後、 コンビニまで
 電話代持って丁重にお礼しに行きましたが。)
そんなこんなの仕事納めだったから、
今年はどーなるんだろな、と心配していたんですが・・・。


新年初日から朝の胃カメラの検査担当になってたんですが
時間になっても待てど暮らせど患者さんが来ない。
家に電話したら
「あはは~、忘れてました。朝ご飯食べちゃいました」
orz・・・

で、今日に検査が延期になったんですが、
今日も今日とて
患者さん、来ません。
またまた家に電話してみたら
「今まで寝てたので、これから片付けて出ます・・・」
朝ご飯こそ食べてませんでしたが、
徒歩5分の住所からたどり着くまでに30分。
もう脱力。はあ~・・・。


新年になってもノロウィルスの勢力は衰えず、
受け付け時間終了間際にも点滴希望の患者さんがわさわさ。
おまけにA型インフルエンザもちらほら。
今日も忙しかったです。( -.-) =з
お正月にかかってしまってできなかった点滴ベッドのシーツ交換を終え、
午前中の仕事が終わったのは13時30分すぎ。
あわてて家に帰って、
明日始業式のかずぼんの宿題と持物をチェックして・・・。
今年もかわらず、忙しくなりそうですわ。
年の初め、家族を考える その2
2011年01月04日 (火) | 編集 |
親子のつながり。
心が強く結ばれた義姉たちのような場合もあれば、
なぜ、どうして?と思うようなか細いつながり方の母子もあります。

以下は実家のうちの母の友人のお話。

うちの母親のかつての職場の友人、ということですから
かれこれ75歳くらいの方だと思います。
(お名前はMさん、とさせていただきます。)
結婚して娘さんが生まれて、
娘さんが生後20日の時、
ご主人が事故死。
わずか23歳で未亡人になったMさんには
生まれつきの難聴があり、
生まれたばかりの赤ん坊を連れて生活するには大変だと
実家に帰ろうとしたところ
実家からは
「子どもは御主人の家の子だから、
 おいてきなさい」と言われ、
泣く泣く実家に帰ることをあきらめ、
婚家に残ったそうです。
働き手の息子に死なれた家では
嫁のMさんに仕事をさせ、
お給料はすべて、舅、姑が巻き上げてしまったとか。
Mさんの給料日になると
亡くなったご主人の妹がお金をせびりにやってきて、
姑たちはお金を渡していたそうです。

舅姑が亡くなり、
地上げでおんぼろ家を失いながらも
やっとのことで育て上げた娘が結婚して独立、
仕事をしながら孫息子の世話をし
学校に近いからと自分のアパートから高校に通わせたりと
Mさんなりに苦労は多くても幸せな時期もあったそうです。
その後、娘夫婦から一戸建ての家を買いたいとMさんに相談があり、
老後のためにためていたお金をはたいて頭金を出し、
同居したところで娘婿が豹変。
6畳一間に押し込められるようにテレビも取り上げられ、
年金から3万円ずつお金を出させられるのに、
今ではトイレすら
「水がもったいないから」と近くの公園に済ませに行くように言われるそうです。

娘さんは何も言わないのかといえば
「あの人も耳が遠い分、頑固で性格に難があって。
 前の職場でもひねくれ者で通ってたんだけど、
 娘さんからも嫌われちゃってるみたいでね。
 娘さん自身も婿さんのいいなりみたいだし。」

実家の玄関にはいろんな手芸品の置物があって、
そのほとんどをMさんが作っておいて行くのだそうです。
家にいても居場所がなく、
耳が遠いので部屋にこもって手芸をし、
出来上がったものを昔の同僚たちに配りながら
愚痴をこぼして帰っていく・・・。

昨年の流行語に
「無縁社会」ってのがありましたが、
縁、があればいいというものでもなさそうです。
高齢化社会の闇は根深い。


そして、最後は私の従妹のお話です。
私の3つばかり下の従妹なのですが、
うちの母親と従妹の母(私にとっては叔母ですね)
昔から姉妹仲が良く
私も小さいころからかわいがってもらってきました。
叔母は従妹がまだ小学生のころに離婚し、
女手一つで従妹を育てました。
従妹は気が良くてとても優しい子ですが、
学力的にはいわゆる「ボーダーライン」に近いものがありました。
(今思うと、うちの息子のような
 軽度の発達障害なのかもしれません)
そんな叔母を不憫に思った祖父母は
持っていた田畑のうちの一部の土地を叔母に残しました。
そこに現在、叔母と従妹家族の暮らす家が建っています。

従妹は叔母の知人の紹介で2つほど年上の男性と結婚しました。
相手は両親こそいましたが貧しく、少し変わった家庭で育ったとのことでした。
彼の親は育児放棄をし、
4人いる彼の兄弟のためにご飯を作ることさえしなかったそうです。
缶詰めをひと缶与えられ、
4人兄弟で分け合ってご飯を食べた・・・、そんな日々だったとも聞きました。
彼は中学校を卒業後、
地元では名の通った会社で電気工事の仕事をし、
家族を支えてきたそうです。
あの家はともかく、あの子なら大丈夫。
見合いの話を持ってきた叔母の知人もそう言っていたらしいのですが。

不妊治療を経て男女の双子に恵まれ、
従妹と彼はとても喜び、
子供たちにありとあらゆるモノをどんどん買い与えて行きました。
自分たち二人は幼いころにはとても貧しく、
欲しいものは手に入らなかった。
子どもには望むものを何でも与えてやりたい・・・それが二人の気持ちだったようです。
小学生のころからゲームに携帯電話、
女の子のほうは欲しい洋服もどんどん買ってもらって、
私が言うのもなんですが
我慢を知らない、わがままな子になりました。
欲しいものはすぐに手に入らないとすねて怒り、
親たちを振り回します。
「○時からのテレビに嵐が出るから
 ○時までに家に帰らないとイヤ!」
「こんなモノ、キライ。こんなおかずならご飯いらない」
「このバッグかわいいでしょう。5千円だったんだ。
 お父さんに買ってもらったの」
バッグの中にはポータブルゲーム機2種類とソフトがいっぱい・・・。

彼の家族も今でも彼にお金をせびりにくるらしく、
無職の長兄のために借金の保証人になったり
彼自身もパチンコが好きでそのために借金をしたり
近年では祖父母にもらった土地も借金の抵当に入っているのでは?
なんて話も出ています。
従妹は人がよく
父親のいない家庭で育ったこともあり
自分の夫を唯一頼れる男性と信じて疑っていないようです。
叔母のほうも危機感はあるようなのですが、
根が楽天的なせいかあまり深くは考えていないのがホントのところ。
叔母自身も離婚後はずっと頼れる男性の存在がなく
なんだかんだで家族の主として彼をあてにしているのかもしれません。
大人たちは自分の責任で何とかしていくしかないのですが
もしも、のとき
子どもたちがどうなっていくのかが不安です。
今年のお正月は叔母にもちらりと話を振ってみましたが・・・。
逃げられました。(苦)



我が家もよそ様から見れば
どんなふうに見えるものかわかりませんが・・・。
一見、穏やかな嫁姑の関係も
もしかしたら姑の我慢我慢の上に成り立っているのかも・・・?
私自身にはそれほど深刻な同居の悩みはありませんが
(せいぜいモノが片付かないくらい)
私が気が付いてないってことが
いちばん問題??
娘も最近、めだって口が悪くなり、
息子も今後の中学校、高校と学校のこと、将来の仕事を考えると
もちろん不安や心配の種は尽きませんが・・・。


以前、詩を書いているときに
ちまちまとした日常だけでなく、
広い視野を持って、
もっと世界のことを考えて書けないか、と言われたことがありましたっけ。
私のちっぽけな脳みそのなかでは
「家族」という狭い世界は
いまだに理解しがたく、
愚かしくもいとおしい
考えても考えてもとらわれ続ける素材のようです。




年の初め、家族を考える その1
2011年01月04日 (火) | 編集 |
あけましておめでとうございます。m(__)m
今年もよろしくお願いしますね。

さてさて・・・。
年末から昨日まで実家に帰省してまいりました。
想像以上に実家の父が耳が遠くなり、
物忘れもひどくなっていたのがショックでした。
いつも職場でやっている「長谷川式簡易知能評価スケール」、
父にやってみたらば・・・。
16点。
20点以上で非痴呆、となります。(━_━)ゝ
私的にも、ものすっごくビミョーな得点だと・・・。
現実は現実として受け入れなければ、とは思うものの、
体力的な限界と知力の限界、
どちらが先なのかなとため息がでます。
少し動くとゼイゼイ、喘鳴もひどいですし
心肺機能の低下も年々、進んでいるようです。
それでも横になってばかりいたおととし頃に比べれば
ぼちぼちと散歩にも行って、身体の動きはよくなっていました。
ちなみに母にも「長谷川式」やってみたら、
こちらは24点。ハハハ、大丈夫だ。

年の初めから
「家族の在り方」を考えさせられる今日この頃。
私のまわりの、いくつかの家族のお話をしたいと思います。


昨日、実家から帰ってきて夜に
知人の息子さんのお通夜に行ってきました。
15歳。脳腫瘍による早すぎるお別れでした。
11月に発見、12月初旬に手術をしたものの、
病気の勢いはゆるまず、
2週間余りのこん睡状態の後、息を引き取られたとのこと。
大変に頑張り屋さんな子だったそうです。
きっと、残される家族のためにお別れの準備の時間を残してくれたのでしょう。
クリスマスが過ぎ、新しい年が来て、
ご家族が心の準備を整えるまで、
痛みや苦しみと闘いながら家族が一緒にいる時間を作ってくれたんだと思います。
亡くなった夜に自宅に連れて帰って、
お父さん、お母さんと川の字に並んで眠ったそうです。
病気がわかって以来、昨夜初めて、
ゆっくり眠ることができました、とお母さん。
棺のそばには学校のお友達が寄せ書きしたベースギターが置いてありました。
高校に入ったら、みんなでバンドをやりたいと練習していたそうで、
制服姿の子どもたちがいっぱい、
斎場に入りきれないほどお別れに来てくれていました。
お父さんもお母さんも妹たちも、
大好きだったお兄ちゃんの思い出を来た人みんなと分かち合うように、
いつまでも語り合っていたのが印象的でした。
短い生涯となってしまったけれど、
彼にとってもご家族にとっても、
幸せであったことは間違いないだろうと思います。
Yくん、どうか安らかに。


親としては子どもに先立たれることは何よりつらい。
順番、としては親が先に逝くのは当然なんですが・・・。
親の死を受け入れるのもまた難しいのだなと
実家の義姉を見ていて思いました。
義姉は昨年、最愛のお母さんを亡くしました。
まさに「最愛」だったんです。
一体型母子、そんなふたりでした。
お父さんは20数年前に亡くなっていて
4人兄弟のなかで女の子は義姉一人。
二人のお兄さんはすでに婿養子に入って家を出ていて
弟さんも母親より同居を嫌がるお嫁さんを選んで、
家を出てしまっていました。

兄と結婚してうちの両親と同居後も、
義姉は毎週のように車で30分余りの実家に遊びに行っていました。
「子どもたちにさびしい思いはさせないように、
 私が働いて助けるから
 あなたは家庭にいなさい」 と
経済的な援助も受けていたようです・・・。
朝夕の新聞配達をしながら会社に勤め、
小柄ながら働きものでお酒が好きで
陽気なお母さんだったそうです。
3年前、すでに手遅れの状態でがんが見つかり、
亡くなる前1年半ほどは
義姉は兄と別居して子どもたちと実家に移り住み、
お母さんの闘病を支えました。
二人の姪っ子はそれぞれ中学校と小学校、
義姉の実家近くの学校に転校もして。

「私が病気の母さんを支えていると思っていたけれど、
 母さんの存在がずっと私を支えてくれている。」
「ダンナも子どもも私を愛してくれていると思うけれど、
 誰よりも私のことをわかって、
 無条件に愛情を注いでくれるのは母さんだけ。
 母さんがと離れるさみしさは
 子どもにも埋めてはもらえない。」
義姉はよくそう言っていて、
私や妹は
そこまでの感情を理解できるかと言えば分らないけれど、
義姉の気持ちは認めよう、と
実家を出ていく義姉を見送ったのです。
義姉と兄が話し合い、
兄家族が出した結論です。
うちの両親もそれならと許しました。
まあ、籍を抜くわけではなくて、
あくまで看病のための別居、ではありましたが。

闘病三年、
義姉は最愛の母親を見送った家で
今も子どもたちと暮らしています。
亡くなったお母さんが
家を含めたすべての財産を
義姉に譲ると遺言し、家を出ていた兄弟たちもそれに従ったそう。
子どもたちの学校の都合もあり、
下の姪っ子が中学を出るまではとりあえずそちらにいるそうで
毎週末、実家に帰ってきてうちの親とも顔を合わせています。
今回、義姉が駅まで車で送ってくれたとき
義姉の運転席には亡くなったお母さんとのツーショット写真がありました。
「母さんはいつでも私を見守ってくれている」そうです。
某俳優さんの奥さんが
お母さんの病死後に精神的なバランスを崩して自殺されたニュースが
どうにも頭をかすめていってしまい、
今後の兄夫婦の動向が気にかかります。

長くなりますので、一旦
このあたりで・・・。