おたんこナースのきーちゃんとその家族の日記です。
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子どもの脳死判定と臓器移植 ごく個人的な感想ですが
2012年06月15日 (金) | 編集 |
昨日からずっと報道されている6歳未満の子供の脳死と臓器移植について。
日本でも子どもの臓器移植ができる時代になったんだなあと思うと
いろいろ感慨深いです。
以下はごくごく個人的な、
看護師であり、子どもの親でもある私の感想です。
(なかなかまとまらないので
 おいおい、修正させていただくかもしれませんが・・・
 後での修正部分は色を変えておきます

まずは、臓器移植、という医療行為について。
大人である私自身の身体の場合を考えてみます。
私が亡くなった後、 (この場合脳死と判定された後、ですね)
他の方に移植できる臓器があるなら
私自身は摘出して移植していただいてかまわないと思っていますが、
私の夫や子供たち、親や兄弟のだれかががそれに抵抗があると言うなら
やめるべきかなと思っています。
私の命は尽きたらそれまでですが、
後に残る家族は
「脳死状態の自分の家族の身体の一部を、他人に提供した」という事実を
一生、引き受けていかなければなりません。
そのことが残されて生きていく人たちの心の負担になるのなら
辛いなあと思うからです。
今回の子どもさんのご家族のように
「誰かの体の一部になって、
 長く生き続けてほしい」と私の家族も思えるのなら
使える臓器はどなたかの生きる力に変えてほしいと思います。

脳死になったのが夫や義母の場合も同様ですね。
本人に提供の意思があり、
私以外の親族もそれに同意してくれるのなら
使える臓器があればどなたかに提供したいと思います。
それでも脳死状態での臓器提供を拒む親族がいたら
その人をを説得してまで・・・とは正直思えません。


ただ、自分の子どもの場合は・・・。
私には冷静な判断が出来かねると思います。 ( ̄~ ̄;)
娘も息子ももう中学生ですから
今回のようなニュースを受けて
本人の意思は確認してみたいなあとは思うのですが、
いざ、自分の子供が「脳死です」と判断されて
まだ体が温かい、心臓も動いている状態で
「では臓器を取り出していただいてかまいません」とは
どうしても言えないのでは・・・と。

 

  知人の息子さんのお話をさせていただきましたが
  個人のプライベートにかかわることなので
  すみません、割愛させていただきます m(__)m


もう二十年ほども昔の話ですが
内科の病棟で三交代勤務をしていたころ
「拡張型心筋症」の19歳の青年を看取ったことがあります。
当時は大人でも日本での心臓移植はない時代でした。
(日本での臓器移植法の成立は1997年ですので
 当時、移植をされた方は海外に渡航してのことですね・・・すみません)
終末期、全身に浮腫が現れて、日々、辛そうにしている彼に
夜勤のたびにナースコールで呼ばれてベッドサイドに行き、
他の患者さんのカルテを山積みにして看護記録を書きながら
おしゃべりに付き合っていたこともありました。
海外に行けば移植を受けることも可能だったかもしれませんが、
地方の小都市の、
決して豊かではない経済状況の父子家庭の彼には
募金を募るほどの行動力もなかったし
なにより、当時の日本では臓器移植という概念そのものが
一般の人には遠いものだったと思います。
思えば、医療はどんどん進んでいるのですが、
(体の一部を入れ替えるまでして)
人の死、を
人の手でコントロールすることが果たして
良い進歩なのか、神をも恐れぬ行為なのか・・・。
考えても考えてもグルグル、無限ループにはまってしまうのです。



重い病気で臓器移植をすれば命が助かるかもしれないわが子に(家族に)
移植を希望する人たちを
わがままとは思えませんし、
臓器提供を拒否する方もまた、
決して責められるべきではないでしょう。

どうか多様な人の価値観が認められ、
尊重される社会であってほしい。
臓器を提供するひとの家族も
提供される側のひと本人やその家族も
脳死での臓器提供を拒む家族も
みんなみんな、興味本位で叩かれたりしないように。
今回も子どもさんの腎臓が60代の方に移植されることに
不満や疑問が多く寄せられているようですが、
医学的な理由が必ずあるはずです。
移植を受ける方のこれからの生活の質(quality of life)が
よりよいものになることを祈っています。

今回の報道で
一医療従事者として
子どもさんの家族の重い決断を促し、支え
また、提供された貴い臓器を
新たな命に引き継ぐべく努力されている移植医療チームのみなさんに
敬意を表します。
良いお仕事をなさってください。



コメント
この記事へのコメント
私も考えました。
脳死を死として受け止めるかどうか。
これは本当に難しい問題だと思います。

私は友人の娘さんが極小未熟児で、未熟児性網膜はく離と脳性マヒだったというきっかけがあり、もう20年位アイバンクに登録しています。
子供達にその話をしたところ、それは嫌だと言われてしまい、どうなるのかな~と思っていたところにこのニュースだったので、タイムリーでした。

今回の件は、腎臓移植を受けた方についてはビミョーな印象を受けました。

脳死後の移植は、反応なのか、神経の繋がりの関係なのか、痛みがあるからなのか、臓器提供のための手術中に脳死の患者さん?が動くので、麻酔下での手術になるということを知ったため、自分の子の脳死後の臓器提供はできないと思いました。
自分だったら脳死後の臓器提供をしてもいいと思うんですけど、子どもが痛みを感じているかもしれないというのは、自分自身が耐えられるのか疑問です。

私は自分自身が提供するなら、若い未来の長い子にあげてほしいと思うんですけど、矛盾する考えですが、若い方にあげた場合、一生薬とは縁が切れ無い生活ですし、健常者と同じにはできない部分があって、例えば出産したいとか、そういうことができないことで悲しい思いをするんじゃないか。
そう思う時がきてしまうなら、そういう時期を過ぎた人にあげた方がいいんじゃないかとか、色々考えてしまいます。

自分自身が臓器提供をしていいと思っているのに、私が脳死になった時、子ども達はどう思うのか…。
それを考えると果たして臓器提供を希望するべきなのか、本当に考えさせられます。

でも、大きな波紋になったことは確かですよね。
私も脳死に至った経緯を知りたいです。
2012/06/17(日) 01:28:08 | URL | かなた #-[ 編集]
真摯なコメント、ありがとう
>かなたさん

本当に、考えさせられることばかりですね。(ノ_-;)
これが正しいって結論は出ないんですが、
正しいことは何か?よりも
今はみんなが自分の身近な問題として考えることが大切ですね。

プライバシーの保護は重要ではありますが、
今回のような社会全体に与える影響がひどく大きい事例では
もう少し、みんなに考える材料を与えてほしい気がします。
脳死下での臓器提供という行為が一方的に美化されることも
移植を受ける患者さんや家族の方への誹謗中傷が流れるのも
どちらにも抵抗があります。

今回の事例を受けて
子どもの脳死判定や臓器移植がすぐに劇的に増えることは
あり得ないだろうとは思うのですが
引き続き、私も考え続けていきたいと思っています。
2012/06/17(日) 17:15:53 | URL | きーちゃん #gVlVCJX2[ 編集]
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